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 「嘘つかないでくださいよ」



男は、俺の前に立ちはだかった。
夏蜜柑のにおいが潮風に流されていく。



男の声は無心だった。
ただ「うそ」という発音はあまりにも綺麗で、
その二音は俺には、すこし重かった。



「嘘でしょう。
あなたの本心がそんな小説じみた台詞なわけがない。
守りたいとか、生きていればそれでいいとか。
優しい嘘は俺にはきかない。」



「おまえが求めてる言葉ってのは、一体何なんだよ。
おまえこそ小説みたいな台詞ばっか吐きやがって。
詩人かよ。」



痛々しい傷でもみるようだ。
そんな文章が、今の青の眼にはぴったりだった。



男の背景は、見慣れた海原。
きらめきの一つ一つが、まるで小さな命のように、
生まれては消えていく。
ぼうっとする。
男は絵みたいにきれいだった。



そんなシャボン玉みたいなふわふわとした幻想が、
地を這うような声によって、弾けて消えてしまった。



「未来の俺を生かすとか、過去の俺を受け入れるとか、そんなことは今どうだっていいんです。
見て欲しいのは、今。今なんです。現在の俺だけでいい。
なのにあなたは「青」の名前で俺を呪ってる。
あなたがその名を呼ぶ度にこの町を捨てたがっている。
こんなにいい町なのに。俺が愛した町なのに。
あなたと一緒に行きたいと思ってる俺が、一番、一番ずるいことも分かっている。
ここの人たちを裏切ってもいいと、思える自分がもうおかしい。
俺が毎日診療室でなにを考えてるか分かりますか。
背筋も凍りますよ。
俺が毎日生きている意味を、生かされている意味を、ようやく知ったというのにあなたはそんなことが言えるんですか」


もう、なにを言っているのか分からなかった。
彼自身、自分でも分かっていないんじゃないかと、思うくらいに。

一息に、男は思いの丈をぶつけるから。
言葉のこぶしは俺の本心を痛めつける。
どうしても、こんなときにこの海は真っ青に笑ってるんだろう。


「おまえ、そんな言葉の選び方、するようになったのな」
「選び方、」
「食べ合わせ悪いと腹こわすみたいにな、言葉の選び方が悪いと、・・・こわれるぞ。」


ただ漠然と、ああ、もうだめかもしれないと。
男の命はもう、おれの手中にはないんだってこと。
早くこの関係を終わりにしたい。
ただ解放を望んで、いるわけもない。

優しいから、彼は。
この町のひとを愛して、この町の海を愛しているから。
彼自身、捨てることはできないと分かっている。

彼の優しい心は、この町が形成した。
彼の醜い心は、この俺が生み出したようなもんだ。

 



そう、歪曲した「愛情」によって。

 



俺だけが異端だった。
そんなことはどうでもよかった。
彼の命を救うという目的が、彼の理性を巣くう結末になってしまう前に。



「もう、終わりにしよう」



ああ、どうか、



「俺にはもう抱えきれない」



どうか、しゃべり続けていて。
責め続けていて。



「おまえのしたいこと、受け止めきれない。解消できない」

 



あなたの言葉じゃなきゃ、意味などないというのに。

 



「ごめん、青」

 



終わってしまう。

 

 

 


彼の言葉が紡ぐのをやめたとき、
潮風がぴたりとやんでしまったことに、男はきづかない。

 



雨が、降り出した。

 

 

 




永遠

 



 

 

 

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